伝説の経営者・松下幸之助の元側近が語る「究極の経営手法」

PHP総合研究所前社長 江口克彦氏インタビュー

昭和の大経営者である松下幸之助は、その優れた経営手腕によって町工場だった松下電器を世界に名だたる大企業へと育て上げました。松下幸之助の経営哲学についてはさまざまなところで語られていますが、若い世代の起業家にとっては馴染みのないものになっているのではないでしょうか。そこで、時代を経ても変わらない普遍的なその経営哲学を伝えるべく、23年にわたって松下幸之助の側近として仕えたPHP総合研究所の前社長、江口克彦氏に話を伺いました。

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江口 克彦(えぐち・かつひこ)
株式会社PHP総合研究所前社長。参議院議員。慶應義塾大学法学部卒業後、松下電器産業株式会社に入社。1967年にPHP総合研究所に配属され、2004年に同研究所社長に就任。2009年に退任後は執筆・講演を中心に活動していたが、地域主権型道州制の政策を掲げて2010年の参議院議員選挙に出馬、当選。松下幸之助のもとで23年間側近として過ごしたことから、松下幸之助哲学の継承者、伝承者と評されており、松下幸之助経営に関する講演依頼や著書も多い。

アメリカ式経営が「失われた20年」を招いた

ー伝説の経営者をリアルタイムで知らない若い世代の起業家に向けて、改めて松下幸之助さんと当時の日本の経営について聞かせていただけますか?

江口:松下幸之助さんは聞き覚えがあっても、盛田昭夫や井深大、土光敏夫、石田退三、永野重雄といった偉大な経営者のことを、今の若い人たちはあまり知らないでしょう。こうした優れた経営者は、今はほとんどいなくなってしまいました。

当時の昭和の経営者には、人を追いかけ、国を良くし、国民の生活を良くする、社員を大事にするという考え方や志がありました。

ところが、平成に入ってバブルが弾けてデフレ状態が続く中で、かつての日本式経営ではデフレ脱却はできない、企業経営はできないと、欧米式・アメリカ式の経営が導入されました。その代表的な手法がリストラクチャリングや成果主義、能力主義だったのです。

そのアメリカ式経営は、「企業の繁栄」もっと言うならば「経営者の繁栄」が最優先されました。社長は経営者としての任期中にいかに利益を上げるかを追求します。株主中心主義ですから、当然利益を上げなければ株主総会で追及されてしまう。

そのため、何が何でも利益を上げることが優先され、社員、すなわち「人」が犠牲になっていったのです。利益を上げるために一番簡単なのは、固定費と人件費の削減。つまり利益を確保するためには、首切りや給料カットが一番早かったのです。

平成の経営者たちは「日本式経営は時代に合わない」ということで、十分考えもせずにこのアメリカ式経営に飛び付きました。その結果、逆に大きな痛手を被ってしまったのです。

日本式経営とは何かを知り、どう活用していくかを考えれば、そういう安易な選択をしなかったはずです。そんな平成の経営者の安直な考え方によって日本企業は低迷し、経済も低迷し、20数年間のデフレ、失われた20年につながっていったのです。

日本式経営というのは、よく「年功序列」「終身雇用」「企業内労働組合」と言われていますが、それは違います。

戦前は年功序列も終身雇用もなく、企業内労働組合も存在しませんでした。戦後は人手が足りず労働者の売り手市場でしたから、会社側としては誰でもいいから採用し、他の会社に逃げられないよう労働者を囲い込むために考え出されたのが年功序列だったのです。

40歳になったら課長に、50歳になったら部長になると約束し、長く勤めてもらおうとしたのが年功序列です。終身雇用は定年の60歳まで面倒を見て、退職金も相当額を払うと約束するものです。

また、会社外の組織と結びついて何かやられてしまうと大変だと、企業内労働組合を組織して労使協調関係を築きました。この3つをアメリカの経営学者が日本式経営の「三種の神器」と名付けましたが、それは本質ではないのです。